背の高い帽子。真っ白な調理服。テレビで見たコックさんの姿に憧れて、料理人になると決めたのは幼稚園の頃でした。何も分からないまま冷蔵庫の中身を持ってきて、切って、火を入れ、自分の感覚で味付けを行う。今思えば料理とすら呼べないようなものでしたが、それを両親に食べてもらい、喜ばれたことが料理人になった原点にあります。
実は、最初の就職先もテレビの影響からでした。調理師専門学校を卒業する頃、当時流行っていたドラマのロケ地として使われていたレストランがとても格好よくて、その店を探し出して勢いで就職を決めました。動機は単純でも、やると決めたらやるタイプ。一年で50人はいた同期が半分以下になる厳しさの中、踏ん張って6年働き、学べることは全て自分に叩き込みました。その後20年はいくつかのホテルで働きましたが、学びになったのは料理におけるコミュニケーションの大切さです。技術があることは前提として、調理場をギスギスさせたり、自分を強く見せたり、サービススタッフと会話ができない料理人は、いい料理人とは言えません。もちろん、お客様との対話が着想源となって生まれる料理もあります。こうした価値観が八芳園で働く今も、料理人として働く私のベースにはある気がしています。
入社前には想像もできなかった、挑戦の連続。
2019年に八芳園に転職してしばらくは、とにかく多様な仕事を経験しました。最初の1ヶ月は園外のポップアップイベントを運営し、その後はセントラルキッチンの企画へ。東京 2020 オリンピックを見据え、さまざまな国のお客様をおもてなしする「食の多様性」をテーマにしたキッチンの立ち上げです。ムスリム対応など、様々なバックグラウンドを持つ方への配慮が必須だったので、食材、機材、背景にある思想まで、本を読んだり、出張をしたりしながら知識を身につけました。転職前は想像すらしていなかった仕事でしたが、内心嬉しかったんです。この歳になっても新しいチャレンジができる自分も、八芳園も、いいなと素直に思いました。
しかしその直後、コロナ禍に見舞われます。東京 2020 オリンピックに向けたホストタウンイベントの仕込み中に緊急事態宣言が発令され、東京 2020 オリンピックは延期。八芳園自体も半年間の閉館を余儀なくされ、園外のイベントもできない。人生で初めて経験した「料理をしたくてもできない」ことが、これほどまでにつらいとは。そんな中でも社長を含めた全員でできることを話し合い、せっかく作り上げたセントラルキッチンだから、婚礼や宴会の屋台骨として活用していこうと方針を固めました。そこから、私の人生初となる婚礼料理への挑戦が始まります。
カルチャーショックを受けるほどの、心づかいとこだわり。
披露宴が再稼働し始め、改めて驚いたことは、八芳園の料理の個別対応がとても細やかなことです。例えばホテルであれば、どうしてもブランドイメージがあるため、お客様のアレルギーや好き嫌いに対しても「これ以上はできません」という一線があります。もちろん最近はその様相も徐々に変わってはきましたが、八芳園は「ご要望にはNOと言わずに、より良い代替案を出すこと」をとても大切にしており、そこにプライドさえ感じます。たとえばベジタリアンのゲストに対し、「生野菜、蒸し野菜、焼き野菜を組み合わせよう」ではなく、洋食なら洋食、和食なら和食で「今まで食べたことのない一品を」と各自がメニュー案を出す。ホテル業界が長かった私にとって、一人のお客様に対するそこまでのこだわりにカルチャーショックを受けるほどでした。
お客様のご都合に合わせた対応を行った上で、他のお客様の料理と見た目をできるだけ変えないという気配りも当たり前に共有されています。先日は、周囲の方にお話しされていないお食事の制限があるお客様に対し、制限食材を使わずに同じ見た目のお料理を提供して大変お喜びいただきました。週末は一日に数多くの披露宴が開催され、お食事の個別対応が必要な件数が多い時には100を超えます。それでも、それをやり切れる裏には、スタッフ一人ひとりがお客様のために切磋琢磨する「Team for Wedding」の姿があります。八芳園のこのチームでなければ、絶対に実現しない境地だと思います。
記憶に残る一皿は、料理人の生き方そのもの。
当然ですが、料理は食べたらなくなります。さらに言えば婚礼料理は、どれだけ美味しくても「来週またリピートします」とはなり得ない世界です。だからこそ、どれだけ記憶に残れるかが勝負。味、温度、見せ方、出し方。自分のつくったものは、イコール、自分自身だと心に刻み、一皿一皿に集中する。スタッフたちにも口酸っぱく伝え続け、お客様にとっての「八芳園だからこそ」を高める努力を続けています。
私がこれから八芳園でやりたいこと。それは、若く未来あるスタッフたちに自分の人脈をどんどんつなぎ、外部のシェフとも積極的に協働の場を設けながらその成長を促すことです。料理には、その人が出る。そう考えるからこそ、つくり手が常に刺激のある環境に身を置き、凝り固まらずにいることの大切さはキャリアを積むほど分かってきます。「お客様のために」で心を一つに、熱意を持って働いてくれる調理場のスタッフたち。その全員に「八芳園を職場に選んでよかった」と思ってもらいたいという気持ちが、今の私を成長させる最大の原動力です。